今日は、うちの奥さんと麻方神社に初詣したあと、
宗吾霊堂にも立ち寄ってお参りしてきました。
いつも一人で麻賀多神社にお参りするときは、京成の公津の杜から
徒歩で行くのですが、今日は車なので宗吾さんにも寄ってみました。
 駐車場は、有料しかないようで、700円でした。
ちょっと、立ち寄るには、もったいない気がしましたが、入場料みたいな
ものでしょう。
 宗吾霊堂は、桓武天皇の時代に坂上田村麻呂が、房総を平定した時
に建立したと言われています。
正しくは、鳴鐘山東勝寺といいます。成田山新勝寺の方が有名ですが、
新勝寺は東勝寺より新しい寺という意味で、この名がつけられているようです。


012












 



 参道には、昭和の雰囲気をかもしだす、おみやげ屋さんが、
ずらっと並んでいます。
平日の月曜日で、もう初詣客もいないのですっかりすいて静かです。
何となく、寅さん映画を想像させるような雰囲気で、とても気に入りました。



010
















宗吾父子地蔵尊です。
宗吾様の4人の子供を思う気持ちをお地蔵様の姿に変えてお祀りしております。


江戸時代初期、4代将軍徳川家綱の時代、今から約360年前のことです。
 打ち続く凶作と過酷な重税に苦しむ農民たちを救うため、木内惣五郎(佐倉宗吾)ら6人の名主たちが幕府に農民の窮状を訴えました。
 しかし、その訴状は受入れられず、木内惣五郎は、当時禁じられていた将軍への直訴を決行。
この直訴により、農民たちを苦しめていた重税が見直され、村々の願いはかなえられましたが、
惣五郎は処刑されることに、惣五郎の家族までもがその対象となり、承応2年(1653年)
8月3日、幼い子供らまで刑に処せられました。まさに命がけの直訴でした。
 それから100年後、宝暦2年(1752年)、佐倉藩はその失政を悔い、木内惣五郎の名誉を回復し、「宗吾道閑居士」の法号を諡号(しごう)し、以来「宗吾様」と呼ばれるようになりました。
 今では江戸時代の義民・佐倉宗吾様が祀られているお寺として、全国の信者が参拝に訪れています。(成田市観光協会HPより)


011

















なぜか、ふなっしーが供えられていました。
千葉県だからまあいいでしょう。

013




















とっても立派な、山門をくぐります。
仁王門のようでしたが、気が付かづに通り過ぎてしまいました。
きっと、善人なので、すんなり通れたのでしょうか。(笑)


018




















大きな吊り鐘の鐘つき堂が有りました。
とっても、突いて見たかったのですが、近所迷惑なので、突かないように
と言う表示が有りましたのであきらめました。


020




















鐘突き堂からは、良いながめです。


024




















宗吾霊宝殿です。資料館の様な所です。
昭和10年に建てられたお洒落な建物です。


027

















宗吾一代記館です。
宗吾様の一代記を何場面かの展示と説明で紹介しています。



009




















帰りにお腹がすいたので、一番外側のお土産屋さんで
草もちを買って食べました。


028




















手作りの草もちだそうです。
大きいのが、8個も入って400円です。
美味しくて私は2つも食べてしまいました。
食べていたら熱いお茶まで持ってきてくれました。
有難うございます。







千葉の鍼灸・指圧・マッサージ・整体の治療院
都賀光明堂治療院



サムネイル